バルト三国 600km

エストニア,タリン

ラトビア,リガ

リトアニア,ヴィリニュス

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この3つの都市、約600kmをバスで移動してきた。タリンからスタートした時は意識していなかったけど、ヴィリニュスまで来て、3つの都市をバスで移動してきたことは、自分にとって意味あるものだった。

 

バルト三国、この三カ国を訪れるまでは、国の場所、位置関係、歴史などなど何も知らなかった。

 

短い期間ではあったけど、その国を訪れる前に、または最中に、その国について調べ、知る機会が増えた。

 

三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命ののち、1918年に三国とも独立をしている。しかし、第二次世界大戦中にソ連とドイツの占領が続いた。

 

私たちが「戦後」と言っている時代、

ここリトアニアは、ソ連に編入され、人々はKGB(ソ連国家保安委員会)に監視される中で生活してきたことを知る。

 

そして、今日はKGB博物館へ。

 

この博物館は、KGBの本部だったところ。ここにリトアニアの人々が連れてこられ、拷問を受けたり、シベリアに送られたりしたことを知る。

 

そして、1991年独立。

                                      #wikipediaより

 

リトアニア』という国ができて26年。まだ26年。

私が生まれた頃、小学生の頃、この国ではまだまだ「平和」とはほど遠い生活があったのかと思うと、心が痛む。

 

1989年8月23日、独立運動の一環としてデモ活動が行われた。

その資料がゲディミナス城に展示されていた。

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この丘の上の建物。

 

このデモ活動は、リトアニアラトビアエストニアの三カ国、約200万人が手をつなぎ、600km以上の人間の鎖をつくったそうです。

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そのスタート地点がゲディミナス城

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ここ!!

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ラトビアのリガでは、こんな碑があった。

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当時、私は9歳。日本でもニュースで取り上げられていたのだろうか…

 

ヒロシマの有る国で】の歌詞の一部

「かの南の国では  大国がのしかかり〜故国の土をふむことも  家族と暮らすことも  許されない戦争が なぜ今も起こる」

 

この歌を歌っていた当時、ピンときていない自分がいたけれど、今、実際に見て、知った。

 

 

バルトの道「人間の鎖」、きっと誰かが声をあげ、そこに賛同する人が集まり、200万人がつながったんだろう。

 

やっぱり、声をあげる必要がある。

世の中、おかしいことが多すぎる。でも、それを見て見ぬふりして過ごしてしまった自分、声をあげられなかった自分がいる。

 

「おかしいことはおかしい」と言える人でありたい。