あるおばちゃんたちから学ばせていただいたことを思い出す

中国では、漢字がたくさん並んでいるけど、その漢字を見るとなんとなく意味がわかった。

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右に行くと「人民広場」があるんだなーということがわかる。

 

内モンゴルに入ると…

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モンゴル文字
全くわからない。

 

モンゴル

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読めない…

 

ロシア

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キリル文字
n→h
g→r
r→pだったりする

McDonald's → МцДоналдьс

 

文字が読めない不便さ
その中で生活することの大変さも実感。
チケット一つ買うのにも、どこで売ってるかわからない…経験する度にわかってくるけど、時間がかかる。

 

その時、頼りになるのが絵や写真。
特にお店でのメニュー

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写真があるのとないのとでは全然違う。
ロシア語の下に英語で書かれているとなんとなくわかる。

 

これが今まで学んできたユニバーサルデザインにもつながるんやろうなとわかった。
自分が困って、はじめて気づくこと。

 

言葉だけの指示

文字を書いて伝える

そこに絵や写真があること

で、より誰にとってもわかりやすい。
実感。

 

まだまだ自分の観点が甘かったことを痛感。


と、同時にお金。

 

ここでも、数年前、おばちゃんたちと一緒に見た映画「雨の指文字」を思い出す。

買い物をしても、いくら払ったらいいのかわからない。
困っていると、電卓で値段を示してくれる。それでやっと払えるけど、
わからない時はやっぱり大きいお金を払って、おつりをもらう。そのおつりもあっているかどうかわからない…

 

今、それを体験することで、改めて教育の果たす役割、重要性を感じる。

また、識字学級で文字を取り返すために学んでおられるおばちゃんたちとの出会いをふり返る。
おばちゃんたちと過ごした10年間、文字の練習をしたり、鯖寿司の作り方を教えていただいたりする中で、たくさんのお話を聞かせていただいた。


そのことを思い出しながら、文字を獲得することは「自分らしく生きること」につながると感じた。

 

「わかりたい!」
「わかると嬉しい」という感情は子どもたちはもちろん、みんなもっている。

 

 

いよいよモスクワへ。