サラエボ事件&オリンピック @サラエボ
2017/07/26
昨日、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モスタルという街から、珍しく電車に乗ってサラエボに移動。
朝6:27、モスタル発の電車。これ↓がホーム。このホームには1日4回しか電車が止まらないらしい…
途中、窓から見える景色はとても美しい。
30分ほど遅れてサラエボ到着。都会!!
今日、泊まっていたホテル・ホリデーは旧ホリデーイン。
紛争当時、このホテルに報道陣が泊まって、各国に情勢を伝えていたらしい。もちろん、このホテルも破壊されている。その状態で営業もされていたという。
このホテルは四つ星ホテル。私たちの旅では高級ホテル。でも、ここで一泊することを決めた。少しでも当時のことを知りたいと思ったから。
このホテルの前は、スナイパーストリートと言われ、動くもの全てが狙撃兵の標的になったという場所。
夜、ホテルの上から↓
モスタルよりも銃弾の跡は少ないように思うが、まだまだ傷跡は残る。
昨日はまずラテン橋へ。
ここは第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件の場所。
厳密には、橋の上ではなく、この建物の前あたりが事件の場所のよう。
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・王国の継承者
と妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年によって暗殺された事件。この事件がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。
この事件も、立ち位置によって様々な見方がある。テロリスト呼ばれる一方で、英雄的存在という人も…どこから見るからかで解釈、理解も違う。
という意味で、民族間の対立なども理解することがとても難しい。
そして、もう1つ。
ここは、1984年にサラエボオリンピックが開催された場所。
そのわずか10年もたたないうちに紛争が始まる…
オリンピックで使われた場所の一部は、この紛争で亡くなられた方の墓地として使われている。それだけの人が亡くなっている。
私は当時、中学生。同じ時代に生きている…同じ時に、この紛争があったことが信じられない…
ここに住む人たちはどんな思いで生活されているのだろうか。