共存・共生 @モスタル

今日はクロアチアトロギールからスプリット→ボスニア・ヘルツェゴビナモスタルへ移動。

 

アドリア海を見ながら、バスで移動。
絶景!!!!!


しかし…

久しぶりに乗り物酔いしそうだったので、写真は1枚も撮れず…

 

16時頃、モスタルに着いたので、ホテルの近くを歩いた。

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この時の気温、37度!

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日差しがきつい!!!暑い!でも、日陰は歩ける。

一旦、ホテルへ戻り、20時ごろもう一度、街へ。

 

バスの中からも見えたが、銃弾の跡が残る建物がある。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷跡が残る。

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当時、テレビでニュースを見た記憶がある。


その当時の影響が今も残る。

 

現在、スターリ・モスト橋を境に、西側にカトリック教徒のクロアチア人↓↓↓

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東側にイスラム教徒のボシュニャク人が住んでいる↓↓↓

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それぞれの民族が生活する場所は、住み分けられているらしい。

ともに生きるために。

 

共存・共生とは何かを考えさせられる。

 

働いてた頃、「違っていて当たり前」と言ったり、聞いたりしていたが、本当に違っていて当たり前とどれだけの人が思っているのか疑問が多くあった。

 

日本の社会は、同調や同じことを求め、求められている気がする。

 

ヨーロッパを巡る中で感じたこと。

 

例えば言語。スイスでは、スイスドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語公用語だという。私たちが出会った人たちは、さらに英語を話し、タイ語を話しと、多様な言語があった。それだけでなく、文化も人も違っていて当たり前。髪の毛の色、目の色、肌の色、生まれた場所、本当に違っているのが当たり前ということを実感する。

 

その中で共存・共生している。

 

日本はどうか。違うことを見つけ、指摘する…同じようにすることを求め、求められ…

そこに合わせよう合わせようとしてしまう自分がいる。

違いを認めるって難しい。

 

ここボスニア・ヘルツェゴビナモスタルでは、違いを認め合い、共存できる道を歩もうとしているところなのか。

 

民族間の対立、宗教の違い…まだまだ難しいところがある。また、それを理解するのはとても難しい。

 

明日は、旧市街地の方へ出かけ、街を歩きたいと思う。
まだまだ復興が進んでおらず、銃弾の跡がたくさんあるという。そこを実際に訪れ、感じてきたい。

 

 

陽が沈む8時半ごろ、涼しくなってきたからか、街にたくさんの人が見られた。カフェでコーヒーを飲む人の姿もたくさん。

 

で、私たちもカフェへ。1杯90円のコーヒー。

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涼しくて、とても気持ちがいい。

珍しくコーヒーを頼む。エスプレッソ!?量が少なくて、ものすごく苦いやつ。そこに砂糖を入れて、少しずつ飲む。意外と美味しかった!これからはコーヒーもいけるかな!?