アウトプット

アウシュビッツ・ビルケナウ博物館》

 

「なぜ、歴史を学ぶのか」と数年前、子どもたちに投げかけた。子どもたちと話をしたのは、《過去のことを学び、今に生かす》ためだと結論を出した。自分が歴史に対して苦手意識があったから、学ぶ意義を見つけたかった。

 

その歴史の1ページをめくる中で、
まさに自分が問われた一日だった。

 

中谷さんのガイドでアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を回った。

何のためにこの博物館はあるのか。なぜ残されているのか。

 

入ってすぐ、この入り口

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「働けば自由になる」と書かれたゲートを、当時どんな思いで通ったのだろう。想像しようとしてもしきれない…。

 

ポーランド人、ジプシーとよばれる人たち、ロシア人、ヨーロッパ各国の人が収容された。90%がユダヤ人だったそうである。75%〜80%のユダヤ人が収容された後、殺された。


15才以上の人たちは収容された後、働かされる。15才以下は殺される。

捕らえられた人は、ユダヤ人が最初ではなく、社会に反対する人、そのリーダー、スパイたちだったそうである。

 

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1929年世界恐慌により、ドイツの経済も暴落すると、金儲けのうまいとされていたユダヤ人たちに矛先が向く。
東へ移住すると言い、ゲットーに押し込まれた。収容できる場がなくなると、ガス室に送られ、殺される。


その判断をしていたのが医師。
下の写真が生死を選別しているところ。

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人の命を守る仕事の人が、生死を選別していた。

 

基準は働けるか働けないか…。

 

人が人を害虫扱いし、殺すことが正当化される世の中。
人の命が物として流通していく。博物館には大量の髪の毛、靴、メガネなどが展示されていた。これらは、使用しきれなかった分が残っているということだった。だとしたら、どれだけの人の命が奪われたことか。
紙に報告書として、靴がいくつ、ズボンがいくつなどと書かれていた。人の命が、数字として表される。命が物になる。

 

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このホロコーストは、経済不況から始まり、ヘイトスピーチヘイトクライムへと発展、ホロコーストにつながった、とヨーロッパでは考えられている。
また、それは、国民が選んだ政治家によるもの。ヨーロッパでは、ヒトラーに全責任があるのではなく、選んだ社会に課題があると捉えている。
その時代の人にとっては、経済をよくしていく頼り甲斐のある政治家だったと。


現在、ヨーロッパでは、経済の活性化のため、シェンゲン協定自由貿易があり、グローバル化している社会がある。その中で、移民、難民と共存していく必要がでてきている。

フランス革命後の状況と同じ状況が今のヨーロッパにある。それをどう乗り越えていくかを、今、ヨーロッパの人たちはアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を通して学んでいる最中だと。

 

それは、私たちの住んでいる日本に重なるところもある。


「難民が、どう自分にうつっているか」と中谷さんは投げかけられた。排除するのか、共存する道を探るのか…


目や髪の毛の色で、人の価値を判断し、優秀さをはかってきた時代。
一度受け入れて、危険を感じたら押し出していく。グローバル化の逆流と表現されていた。

 

当時、ドイツでヘイトスピーチをしているのは一部の人であった。多くの人は自分の身を守るために大衆であることに徹した。その中で、少数派を生み出した。結果、大衆化、民衆がマイノリティを生み出した。

 

今、日本にも同じことが起ころうとしているのではないか。

 

相模原の事件の、障害者に対しての言葉と、ナチスの政策は同じではないかという提起もされた。それを容認する社会になっているのではないかと。

 

これから選ぶ方向が、これからの社会を決める。

このプロセスの中、今、私たちはどこにいるのか。それをはかるのが歴史であると中谷さんは言われる。

 

決して、ヒトラー1人でできた組織ではない。だとしたら、今の世の中をつくっているのは自分。

 

世の中の「常識」「当たり前」と言われることに疑問をもち、自分で考え判断しなければいけない。

 

72年たった今でも、場所をかえて、同じことが起こっている。日本も難民を受け入れる時が来るかもしれない。

では、それをどう乗り越えていくか。

 

私にできること。
「その場に行って見ること、聞くこと、学ぶこと」
「考えること」
「発信すること」

 

いきなり世界を変えよう、日本を変えようというのはではなく、まずは身近なことから。ヘイトスピーチ、いじめ、他者との関わり…やっぱり自分にとっては「ともに生きる」が大きなテーマかな。

 

 

写真にはおさまりきらない広さ…ビルケナウ。

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#まだまだ勉強不足のため、解釈等、間違っていたらすみません。