チョコレート大国・ベルギー@ブリュッセル
一昨日、オランダから着いたのは、ブリュッセルの北駅。
昨日、散策したのはブリュッセル中央駅から南駅。歩ける範囲のこれらの駅前が、それぞれ全く違う雰囲気だったことに驚いた。
中心街に行こうとトラムに乗り、降りたのは丘!?の上。エレベーターで街の下まで降り、散策。
まずはこれ↓↓↓
世界三大がっかりとも言われる「小便小僧」本当に期待通りでした。
次はその隣にある1ユーロワッフル!
これが食べたかった!日本のワッフルに近い味。でも、焼き立てで、ほんのり甘くて、サクサクしてて、カリッとフワッとしてて、美味しかったー(^ ^)
ベルギーには、ワッフルというと2種類あるらしく、もちろんもう1つのワッフルも食べに行きました!
ここ!DANBOY!
美味しいらしい…という情報で迷わずここに入りました!
頼んだのは、アイスクリームとチョコレートソース+ストロベリー!
これもさっきの1ユーロワッフルとは違い、美味しい!さっきのワッフルは、生地にほんのり甘みがあったけど、これは甘みがほとんどなくアイスとチョコが絶妙!+ストロベリーは最高!
これも焼き立てってのがポイント!
まだまだ食べます!
これも名物のポテトフライ。
とにかく量が多い。でも、みんな1人ずつ頼んでるんですよね…私たちは2人でも残しました。次の日の朝ごはん。
ここからは、チョコレート三昧!!!
とにかくチョコレートのお店ばっかり。
1店舗ずつ入って買いたかったけど、それは難しいので、ねらいを定めて…
ここ!corne!
日本にはまだ上陸していないというのがポイントで選びました。
ミルクチョコレートを中心に選び、店員さんのおすすめもいただきました!
理想的なチョコレート三昧でした(^^)
ビターチョコは苦手な私。
基本は安いチョコで満足するんですが、特に好きなチョコがあって、その1つ『WITTMER』
さすがにお腹もいっぱいだったんですが、チョコアイスを食べちゃいました。
夜はビールで乾杯!
チョコレート、ワッフル、ビール!
どれも堪能しました!
今日は、日帰りでルクセンブルクへ。
土曜日のためか、ルクセンブルクの国境手前で電車がストップ。バスに乗り換えてルクセンブルクへ。
城砦!?要塞!?とにかくすごい高低差のある中心街。美しい!
ルクセンブルク駅。
でも、帰りもここからは電車に乗れません。バスに乗って、ベルギーへ戻り帰りました。
ホステル前の景色。21:30。
明日もチョコレート食べようかな〜。
オランダからベルギーへ @ブリュッセル
水の都、アムステルダム。
とにかく運河が網の目のようにはしっていて、その横に並ぶ建物が色鮮やかでかわいい!
まずは、腹ごしらえにパンケーキ!
このお店でいただきました。
ハワイでもパンケーキを食べたけど、それとは全く違うアムステルダムのパンケーキ。
パンケーキとピザの間!?
私はシンプルにシュガー&レモン。ほんのり甘く、そこに酸っぱいレモンで爽やかな味。
その後、街散策。
ここは フラワーマーケット。
チューリップが50本で8ユーロ(約1,000円)他にもたくさんの球根が売られていました。
大麻が合法であるため、その関連の品々、チーズの専門店、日本ではなかなか見られないお店がいっぱい。
美術館の前で写真タイム!
私がどこにいるかわかるかな!?
みんな、高い所に登っていました。10年若かったら私も登ってたかな…でも、降りようとして転んでいた人もいたので、私はおとなしく写真におさまりました。
かわいいオブジェを見ながら、アンネ・フランクの隠れ家へ。
朝は3時間待ちと聞いていたけど、夕方6時ぐらいには1時間待ちで入れました。
このアムステルダムの街で、そして、この家で、2年もの間、隠れながら過ごしていた一家。ここにも歴史を感じました。決して広くない所で、物音を立てられない生活…
この隠れ家を訪れて、思ったこと。
アウシュビッツ・ビルケナウ博物館、ベンゲルベルゼン収容所、アンネ・フランク隠れ家、それぞれの場所に本当にたくさんの人が訪れていた。ポーランドでも、ドイツでも、オランダでも。
私はやっぱり実際に訪れて、知らなかったことを知り、そこの空気を感じたかった。きっとここにいる人たちも、それぞれ思いを持って、それぞれの場所を訪れているんだろうな。2度と同じ過ちはしないと。
帰りは、まだまだ明るいのでごはんを食べて、4km近く歩いて帰りました。
「オランダ」といえば「風車」かな!?有名なところには行けなかったけど、街の中でも見かけました(^^)
そして、今日は久しぶりに早起きをして、朝一番でゴッホ美術館へ。
その後、急いでホステルへ戻り、ベルギーに向けて出発!
国境越え!一瞬!
ブリュッセルについて、バスを降りた途端、アムステルダムと雰囲気が違う…
EU本部も置かれている都市。明日は、ブリュッセルの街を散策します。
チョコレートに、ワッフル、ビールかな!?
オランダに到着 @アムステルダム
ロシアのキジ島で出会ったご夫婦。
この3日間、本当に何から何までお世話になりました。
きっと私たちが来るからということで、用意してくれた晩ごはん。
お店のソーセージより、家庭料理として食べてみたかったソーセージ!!
2日目はアンネ・フランクが亡くなったといわれているベルゲン・ベルゼン収容所へ。
ここには、ご夫婦を訪ねた後に行く予定だったが、車で一緒に連れていってくれた。
まずは、資料館を見た。書かれている説明はなかなか理解できないけれど、展示されている写真、映像が事実を伝えている。
この収容所は、他の収容所で使えないとされた人々がこの地に送り込まれ、虐待され放置された場所。
アンネも伝染病にかかり、この地で命を落とす。
この写真のように墓石はあるが、この下に埋葬されているわけではない。
アウシュビッツ・ビルケナウと同じく、とても広い敷地。
この場所を75歳ぐらいの夫婦と訪れた。終戦2〜4年前に生まれ、戦後からドイツの統一までを知っている世代。
英語でたくさんのことを伝えてくれた。私はなかなか理解できなかったけれど、一緒に訪れる機会にめぐり逢えたことが、私にとってはとても貴重な時間だった。
どんな思いで過ごされてきたのだろうか。
夜は、おそらくこれも私たちのために用意してくださった食事。
『シュニッツェル』
シンプルな料理だけど、とっても美味しかった。じゃがいもが甘い!
食事の後は、お互いの旅行話をしながら、チョコレートを食べながら、ワインをいただきました。
とってもおしゃれなご夫婦です。
そんなご夫婦ともお別れ。
久しぶりに「別れ」が辛く、寂しかった。
今日もバスで移動。
「dortmund」=サッカー
あぁ〜この辺りか〜と思いながら通過。
ご夫婦が持たせてくれたりんごをいただく。他にもサンドイッチや手土産もいただきました。
オランダとの国境!?
アムステルダムに予定より1時間弱遅れて到着。21時でこの青空!!
ホステルに向かって歩いていると…
発見!!!!!
何かわかるかな!?
こんなところにSMAPが^_^
人のあたたかさに触れた3日間でした。
ぜひ日本に来てほしいな。
berlinからbrunswickへ
2017/06/11
ドイツに来て、Wi-Fiがつながりにくい…
昨日は、友だちの友だちもベルリンに来ているということで、合流。
チャーリーチェックポイントで待ち合わせ。東西ベルリンの唯一の検問所。
この近くにベルリンの壁について、展示がありました。たくさんの観光客が当時の様子のパネルや壁を見ていました。
次はアンネフランクの博物館。ここには、アンネフランクがお父さんからもらったサイン帳に書いた日記が展示されていました。
オットーバイトが経営するブラシ会社で視覚障害者のユダヤ人を雇い、彼らを救うために尽力したそうです。
杉原千畝、シンドラーの他にもたくさんの人が命を守ろうと動いていたことを知りました。
その後、マーケットでランチ。
ここでもやっぱりこれ!
お友だちと別れて、私たちはウォールメモリアルへ。
東ベルリンから西ベルリンに逃げるために掘られたトンネル跡。
壁は一枚ではなく、二枚。間に無人地帯。逃走をはかろうとして、たくさんの方が亡くなられた。
資料センターでは、壁の崩壊寸前の映像から、東から西へ越える人たちの姿の映像があった。この映像はかすかに記憶にある。
そこから、SバーンとUバーンといわれる電車を乗りこなし、ベルリンで2番目に見たかったカイザーヴィルヘルム記念教会。
第二次世界大戦中に空爆を受けた教会。原爆ドームと同じで、当時のまま保存されている。
Uバーンに乗り、ホテルの最寄駅へ。
今日乗るバスのチケットを買った後、ベトナム料理屋さんへ。
唯一、この晩ごはんの時にWi-Fiがつながる。でも、日本時間は夜中の2〜3時。
ここで食べていると、ホテルの朝食で一緒になった親子が横を通り過ぎる。
ホテルに戻り、Wi-Fiもつながらないので、洗濯をして就寝。
朝、またまた朝食の時に親子と一緒。
友だちがそこにいた人たちと会話する中で、彼らがチェコから来ているということがわかる。
部屋に戻り、出発の準備をしていると…
トン!トン!
ノックの音が…
ドアを開けるとその親子!
英語がわからない私は…
「ジャスト モーメント!」とカタカナ英語で伝え、友だちにバトンタッチ!
なんと!「チェコに来るときは、私たちの家においで!」と住所と電話番号を書いた紙をくれた。
実は、今日もロシアのキジ島で出会った夫婦を訪ねて移動。
ブランシュウィッグという街。
無事、再会!!!
嬉しかったー^ ^
この街にも空爆を受けた跡がたくさんありました。
少し観光をしてから、彼らの家へ。
とーーーってもステキなお家。
3時のティータイムに手作りケーキとお茶をしただき、晩ごはんはこれ↓
と、至れり尽くせりでした。
わける @ベルリン
バルト三国からポーランドを移動してくる中で、第二次世界大戦当時、この辺りで何が起こっていて、つい最近まであったことを目の当たりにしてきた。
その中で、ずっとずっとユダヤ人の存在がでてくる。
排除され、隔離され、迫害され…
なぜ???と、???ばかりが浮かぶ。
その思いをもちながら、ベルリン市内を巡った。
ずいぶん、旅にも慣れてきて、事前にベルリン内の移動の仕方、地図を把握。
なので、今日はいきなり地下鉄に乗って、バスに乗って、市内を巡ることができましまた!成長!!
まずは、バス内から観光!
今日の目的はここ!
east side gallery
【ベルリンの壁】
前情報では、たくさんの落書きがあったけど、きれいに塗り直されていました。フェンスがかかっているところもあり、こうでもしないと落書きされてしまうのかと思うと、少し残念な気持ちになりました。
ベルリンの壁の崩壊が1989年。
これはなんとなく記憶が残っている。
先生が!?誰かが!?ベルリンの壁の一部をお土産に持ってきて、見せてくれた記憶もかすかにある。その頃から、一度は行ってみたいなと思っていた。
アウシュビッツ収容所への隔離
ユダヤ人のゲットーの隔離
西ベルリンの周りを壁で囲む
韓国と北朝鮮の北緯38度線
分ける…隔てる…隔離…
ともに生きることはできないのだろうか…それは、私たちの身近なところも同じ。
昼はソーセージf^_^;
美味しくいただきました。
電車、地下鉄を乗りこなしながら、社会見学のように国会議事堂、ブランデンブルグ門前を通る。
そして、ここにも広い敷地にユダヤ人のための記念碑があった。
普段あまり飲まないビールですが、今しか飲めないビールもあるかな!?と思い、その都市で1杯だけチャレンジしています。
今日はこれ!「BECK'S」
今のところ、リトアニアのビールが甘くて美味しかったな〜^ ^
アウトプット
《アウシュビッツ・ビルケナウ博物館》
「なぜ、歴史を学ぶのか」と数年前、子どもたちに投げかけた。子どもたちと話をしたのは、《過去のことを学び、今に生かす》ためだと結論を出した。自分が歴史に対して苦手意識があったから、学ぶ意義を見つけたかった。
その歴史の1ページをめくる中で、
まさに自分が問われた一日だった。
中谷さんのガイドでアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を回った。
何のためにこの博物館はあるのか。なぜ残されているのか。
入ってすぐ、この入り口
「働けば自由になる」と書かれたゲートを、当時どんな思いで通ったのだろう。想像しようとしてもしきれない…。
ポーランド人、ジプシーとよばれる人たち、ロシア人、ヨーロッパ各国の人が収容された。90%がユダヤ人だったそうである。75%〜80%のユダヤ人が収容された後、殺された。
15才以上の人たちは収容された後、働かされる。15才以下は殺される。
捕らえられた人は、ユダヤ人が最初ではなく、社会に反対する人、そのリーダー、スパイたちだったそうである。
1929年世界恐慌により、ドイツの経済も暴落すると、金儲けのうまいとされていたユダヤ人たちに矛先が向く。
東へ移住すると言い、ゲットーに押し込まれた。収容できる場がなくなると、ガス室に送られ、殺される。
その判断をしていたのが医師。
下の写真が生死を選別しているところ。
人の命を守る仕事の人が、生死を選別していた。
基準は働けるか働けないか…。
人が人を害虫扱いし、殺すことが正当化される世の中。
人の命が物として流通していく。博物館には大量の髪の毛、靴、メガネなどが展示されていた。これらは、使用しきれなかった分が残っているということだった。だとしたら、どれだけの人の命が奪われたことか。
紙に報告書として、靴がいくつ、ズボンがいくつなどと書かれていた。人の命が、数字として表される。命が物になる。
このホロコーストは、経済不況から始まり、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムへと発展、ホロコーストにつながった、とヨーロッパでは考えられている。
また、それは、国民が選んだ政治家によるもの。ヨーロッパでは、ヒトラーに全責任があるのではなく、選んだ社会に課題があると捉えている。
その時代の人にとっては、経済をよくしていく頼り甲斐のある政治家だったと。
現在、ヨーロッパでは、経済の活性化のため、シェンゲン協定、自由貿易があり、グローバル化している社会がある。その中で、移民、難民と共存していく必要がでてきている。
フランス革命後の状況と同じ状況が今のヨーロッパにある。それをどう乗り越えていくかを、今、ヨーロッパの人たちはアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を通して学んでいる最中だと。
それは、私たちの住んでいる日本に重なるところもある。
「難民が、どう自分にうつっているか」と中谷さんは投げかけられた。排除するのか、共存する道を探るのか…
目や髪の毛の色で、人の価値を判断し、優秀さをはかってきた時代。
一度受け入れて、危険を感じたら押し出していく。グローバル化の逆流と表現されていた。
当時、ドイツでヘイトスピーチをしているのは一部の人であった。多くの人は自分の身を守るために大衆であることに徹した。その中で、少数派を生み出した。結果、大衆化、民衆がマイノリティを生み出した。
今、日本にも同じことが起ころうとしているのではないか。
相模原の事件の、障害者に対しての言葉と、ナチスの政策は同じではないかという提起もされた。それを容認する社会になっているのではないかと。
これから選ぶ方向が、これからの社会を決める。
このプロセスの中、今、私たちはどこにいるのか。それをはかるのが歴史であると中谷さんは言われる。
決して、ヒトラー1人でできた組織ではない。だとしたら、今の世の中をつくっているのは自分。
世の中の「常識」「当たり前」と言われることに疑問をもち、自分で考え判断しなければいけない。
72年たった今でも、場所をかえて、同じことが起こっている。日本も難民を受け入れる時が来るかもしれない。
では、それをどう乗り越えていくか。
私にできること。
「その場に行って見ること、聞くこと、学ぶこと」
「考えること」
「発信すること」
いきなり世界を変えよう、日本を変えようというのはではなく、まずは身近なことから。ヘイトスピーチ、いじめ、他者との関わり…やっぱり自分にとっては「ともに生きる」が大きなテーマかな。
写真にはおさまりきらない広さ…ビルケナウ。
#まだまだ勉強不足のため、解釈等、間違っていたらすみません。